“Bucket List“(一生に一度はいってみたい・・・死ぬ前にやっておきたい事のリスト)
マチュピチュ遺跡の訪問を待ちわびて、標高3,400mの世界遺産登録の街、コスコで高度に慣れる為に過ごした3日間、本調子ではなかったものの、なんとか軽い頭痛やお腹の不都合なども後に、待ちわびていたインカ道の一部を登りマチュピチュに行くとなった日、事もあろうに、夫の体調がすぐれない。友達の旦那様も同様でした。
前日に食べた市場で買ったチーズに当たったのであろうか。
寝不足で、ずっと昔に万里の長城へ行った時と同じように、肝心な日に体調不良になってしまって、可哀想で残念でしたが、スケジュールは変更できないので出発をする事にしました。
(この計画を立てるのには、何ヶ月も前からツワーを組んでもらって、許可書の取得などの手続きを踏む必要があります。)
Contents
マチュピチュに持って行く物
*軽いナップサック:一泊のための最低限の荷物だけを詰める事をオススメします。 *飲み物:登る途中は、ガイドの人たちが用意してくれたスポーツドリンクが役に経ち ました。 *靴: 靴は、がっしりと重い登山用のではなく、軽くて底のしっかりしたハイキン *服装: 下はスポーツブラや軽いキャミソールで、暑くなれば脱げるようにTシャ *ジャケット:山の天候は変わりやすいので、軽いアノラックのようなような、雨よけ |
インカ道とは?
トレッキング予定のインカ道は、インカ帝国の時代の交通・物資・情報網のようなもので、全長約4万キロあるとの事で、飛脚のような責任を負ったインディオがインカ王の為に重要な情報を伝達し、物資を運んでいたそうです。
インカ王の統治時代のこの重要なシステムの一部であった道を通り、104km駅から一泊2日でマチュピチュまでのトレッキングの始まりです。朝5時にバスに乗って、列車の出るオリャンタイタンボ駅まで行き、旅行者専用の快適な列車に乗っていた時には、約7時間のトレッキングが如何に大変かがまだ実感できていませんでした。
これが、私たちの登山ルート
マチュピチュへの行程
ウィネファイナ(食料庫)
まずは、一途に山を登って行きます。
最初の見学ポイントのウイニャイワイナ遺跡 (Winaywayan)に着くまでの苦しかった事。
持ちすぎた荷物の入ったリュックサックを背負って歩く、一歩一歩の重さが身体中にぎっしりとこたえると共に、娘が生まれる前に富士山に登った時にはこんな思いはしなかったと思うほど、息をつくのが苦しくて、我々年配組4名は、30代の若者たちの後をついて行くのが精一杯でした。
やっと一息いれる
全部で15名程のグループについた二人のガイドのうち、後ろをついて来てくれたロベルトさんに励まされながら、途中の景色も時々堪能しながらの山登りは、登っては休み、登っては休みの行動をひたすら機械的に遂行しての結果で、マチュピチュの食料を栽培していた跡と言われているウイニャイワイナ遺跡に着いた時は、汗びっしょりでかなりの疲労を感じていました。
それでも目の前に遺跡を見た時は、「やった!」と何かを成し遂げたという喜びを感じてとても嬉しかったです。
一緒に登ったグループ
「インカの平坦な道路」
ここからは、「インカの平坦な道路」と言われてるところ、すなわち、まだまだ起伏はあるが、今までのような登りではないところが続くと励まされて、お昼をとり、次の過程に進む心構えをしたのです。
多くの遺跡は山の中にあり、昔と同じ方法で古道を歩いて目的地に到達する事で、当時の人たちの大変さが身近に感じられました。
お昼は、ツアー会社が用意してくれて自分達で背負って来た、キノワ・サラダやサンドイッチ、果物などで美味しかったのですが、食欲がなくあまり沢山は食べれませんでした。スポーツドリンクや水も用意してくれてて、登る時に水分と甘い物補給にスポーツドリンクは便利でした。
インカ道を3泊4日間かけてトレッキングする家族連れのグループがキャンプをしている場面に会い、たまたまお昼を食べているのを見せてもらいましたが、ちゃんとコックがついていて、キャンプにしては、かなり豪勢な料理を食べている様子に、思わず写真を撮らせてって言ってしまいました(笑)。
別のグループのキャンプの食事
遺跡には、宮殿や神殿、居住地や城壁、段々畑などの跡が見られますが、インカ王は、特別な催事の時にこの地を訪れたそうです。
スペイン軍が入って来る前に完成を見ずに16世紀に放置されたこの人工都市は、1911年にアメリカの探検家ハイラム・ビンガムが発見するまで、草に覆われ静かに眠っていました。
水はけの作りも完備していたので20世紀に至るまで、ほとんどの石造りが残されていましたが、未だに解明されていない謎の多い遺跡として、その神秘性や天空の城のような幻想性や想像を掻き立てる魅力に惹かれて多くの観光客が訪れています。
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マチュピチュの正門インティプンク(太陽の門)へ
次の目的地は、マチュピチュの正門インティプンク(太陽の門)で、そこを経ると眼下には、マチュピチュの遺跡が広がります。
午前中の上りの時に我らが男性軍のリュックサックを持って手伝ってくれたガイドのココさんとロベルトさんが、午後は私たち女性二人のリュックを持ってくれたので、午後は打って変わって平坦な道を楽々と歩け、最後の階段を登るのも楽によじ登る事ができました。
⭐️
長年憧れていた遺跡を、長いトレッキングの後に見れた嬉しさは格別で、峡谷の霞の間に忽然と浮かぶ空中都市は、時代を遡って夢の国に来たかのようでした。
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マチュピチュの遺跡は、次の日の朝早くに見学に来ることになっていたので、グループのほとんどは、下山はバスで降りるオプションにしました。でも香港から来た若いお医者さんの卵のカップルは、普段あまり運動もしないというのに、もう一人と都合3名、麓の宿泊地であるマチュピチュ村(アグアスカリエンテス)まで自力で降りて来て頑張りました。
マチュピチュ村は遺跡のふもとにある村です。村の中央に川が流れており、雰囲気的には、
日本の温泉宿場町に来たよう。なんと初代の村長さんは、福島県出身だった日本人だったそうです。
マチュピチュ紀行②に続く