カナダ・トロントからの便り:新型コロナ禍、COVID-19

あれから一年:第3波やその後の懸念、ワクチン接種開始

東京の桜がいち早く満開に

この所毎日、朝起きてカーテンを開けると、お日様がキラキラと東の空に輝いて青空が見えます。

温度はそんなに高くなくても、清々しい気分で1日が始まります。

草花が芽吹き始め、黄、白、紫、赤など、春の色があちこちに見掛けられるようになりました。

今朝3月31日のトロントの大手新聞の一面に、温暖化のせいで今年も例年よりいち早く桜が満開になったと、井の頭公園の桜が、今掲載されていました。

もうすぐ本格的な春がまたやって来ると期待を持たせるような写真です。

1年前のトロントの状況

この3月で、トロント市がロックダウンに入ってから早1年になります。

昨年は、近くのハイパークの公園で、通常5月初頭に見られる満開の花見が禁止され、テレビを通して映される開花の映像を逐次見るだけで、とてもがっかりさせられました。

ここでは、カナダの中心都市であり、人口が集まっているトロントの、この一年の状況を振り返ってみたいと思います。

当初去年の1月20日頃の見解では、カナダへの影響は少ないと見られていました。

2003年に死者44名を出して、医療従業員への感染が多かった、S A R S(サーズ:重症急性呼吸器症候群)を体験して終息させていたトロントとしては、自負があったのです。

とにかく、対処できない事はなかろうとの見方であったので、新型コロナ禍が予測以上に問題となり、コロナ・ウイルスの真剣さが次々と発表され、正式に急遽ロックダウン(Stay-at-Home)が宣言されると驚きの声があちこちに上がりました。

コロナウィルスに関しての、カナダのグラウンド・0(ゼロ)、すなわち、初めての患者は、トロントのサニーブルック病院に入院した患者でした。

その患者とその妻は中国から帰国したとの事でした。

始めての患者:Sunnybrook病院

彼らが入院していると言う時期に私も当時、定期検診の為に行った事がありました。

その際に看護婦さんが医療用マスクの微調整してもらっているのも目撃しました。

その深刻な表情に、もしかしたら、これから大変な事になるのかもと微かな予感はしました。

そのコロナの最初の患者は、1月下旬には、退院を許可されています。それでみんなは一応一安心したのです。

状況の進展

ところが、2月中旬には、人から人への感染がオンタリオ州でも確認されて、3月には、最初の死者がでた事で、中旬には学校の閉鎖と共に色々な組織や施設のロックダウンが発表されました。

日本や韓国、台湾などが感染予防を最低限に留めていて、評価されていた時期の事です。

ロックダウンの通達に伴い、大学の決断は素早く行われました。

学期の終了間近であったにも関わらず、トロント大学での授業も、3月中旬以降の2週間が即オンライン授業に切り替わりました。

私も、急遽色々とソフトウェアや技術的に勉強しなければならない事も増え、教える教材の準備に追われる毎日を過ごしました。

オンライン授業

教える方も教えられる方も慣れない状況に対応して、これと言った問題もなく終了する事ができたのは幸いでした。

次に託児所、教会、レクリエーション・センター、ジム、図書館、映画館や劇場、さらに、レストラン(お持ち帰りは別)やバーなどが次々と閉鎖となりました。

美容院やマッサージなども勿論で、これが長引くと自宅で自分たちで対応する以外になくなりました。

普段何気なく使っているあらゆる施設がロックダウンの下に使えなくなり、普段の生活の手段が殆ど制限されたのです。

手足をもぎ取られて身動きも出来ない感じのする生活が始ると言うのは、尋常な事ではありませんでした。

商店街の街角も最初の頃は、殆ど誰もいなくなり、車さえも走っていない状況でした。

食糧の買い出しと最低必要な物の買い出し、またはちょっとした運動の為の散歩以外は、自宅待機を余儀なくされる生活です。

コロナの嵐があちこちで吹き荒れる中、大方は家の中でできる事を探す事で、目には見えない何かを紡いで行くように時間はゆっくりと流れて行きました。

街の中も閑散としてきて、開店が許可されたのは、食料品関係の店舗が主でした。

トロント市や首都のオタワ市があるオンタリオ州では、とにかく自宅隔離をするためにも、緊急の為にも各人が既に品薄気味のマスクを買い漁ったりしました。

トロントのスーパーからトイレットペーパーが消えた

こう言う状況になるとあちこちでパニックに近い事態が起こります。街中は閑散とし、スパーの棚からまずは、トイレットペーパーが消え、消毒液が消え、それから缶詰類などが消えて行きました。

1970年代の日本のオイルショックの時もこんな風であったのだろうかと想像したりもしていました。

自宅待機の日々

始めの3ヶ月は、息をひそめるように過ごし、開いているのは、スーパーと薬屋と酒屋と言うことで、長い行列が出来、それぞれがワインやビールをケースで買ったり、最初の3ヶ月ぐらいは、ここぞと言わんばかりに、ワインの量も多かったりしたのですが、さすがその後はあまり飲みたくもなくなったようです。

マスク、距離を置く、手洗いの実行などが呼びかけられました。

今まで歩いた事のない、路地裏やガレージに面している小さな道を歩いたり、遠出もできず近所をグルグル廻るというのが日課となりました。

食料品の配達(スーパーや近くの八百屋)のアレンジが流行り始め、毎日スーパーに行く必要もなくなり、他の人たちとの接触も殆どなく、家族ともZoomで交流するのみで、例え会うとしても、裏庭のパティオで距離を置いてマスクをして会うのみと言うのが常套になりました。

人々は、これまでの外へ向いていた行動から一転して、うちにうちに籠り始め、家族や一人で自宅の周りを散歩したり、自分の家の周りの手入れに精力を注ぐ様子が見られました。

近所の人たちとの挨拶も、通りを隔てて声を掛け合うようになりました。

とにかく各自の直近のバブルの中に篭って、行動がその中だけに絞られるようになったのです。

すると、普段の日にはなかなかしなかった庭仕事などに力を注いだりする人達が増えました。

それで、それまでには見られなかった、表の歩道に面する各家の庭の芝生の水々しい青さが目に染みるようになりました。

家の内装の改造などにも力を入れる人達が顕著になって来たのが、外に出されるゴミの山の類を見ると一目瞭然でした。

最低必要な品物以外の服装その他必需品でない物の買い控えが見られ、少しずつ小売店に閑古鳥が鳴く気配がし始めました。

ロックダウンが多少緩和されて来た、5月以降でも娘の誕生日を祝うのに、家の中には入らないで距離を置いて外のパティオで集まったりしました。

閑散とした交通機関

バスも殆ど乗客もいないまま走り、地下鉄もとにかく座れる場所も規制があって、周りは公共の交通機関を避けるようになりました。

日本で満員電車での通勤がまだまだ普通であると言うニュースを聞く度に、かなりな規制下にある事の深刻さを感じた物です。

夏を迎えての進捗状況

その後も開いたり、閉めたりのお達しがあるものの、3ヶ月もあれば、状況が鎮火するであろうと願っていたのもままならず、6月以降気候も暖かくなり、夏らしいシーズンを迎えるとやっとパティオを開ける事が許されました。

屋外での活動

オンタリオ州内でも北の方の避暑地に行く人たちの流れも頻繁になり、私達もその波に乗って、北のハンツビルの街に住む友達を訪問したり、ジョージアンベイの友達の別荘にお世話になったりもしました。

ただ、いつもなら泊めてもらうハンツビルではお宅には泊まらずに、近くのホテルに止ま

ったりしました。

1年の間でただの一度だけ行ったレストラン

この間、始めてレストランの室内中で一度食事をしました。小さな街の規制は都会に比べると、緩和されていたからです。

これがこの1年以上のこのコロナウイルスの流行期間で唯一、最初で最後、レストランの中で食事をする経験となりました。

秋から冬にかけての第3次波の広がり

コロナ禍の爪痕

一番感染者が多く、死亡数も多かったのは高齢者で、老人ホームなどの高齢者施設で、集団感染が次々と発生しました。

これは、今の日本での状況にも当てはまるようです。

生活の変転が一年以上も続いて、これだけ外部や家族との接触も制限されて来ると、肉体的な物だけではなく、精神的にも影響が出て来ます。

<店をたたむ>

病気にかかった人達はもとより、失業を余儀なくされた人達、矢面に立たされた人達、折角培って来た商売が崩れてしまった人達、これらの人達の心情は仕方がないで済まされる物ではありません。

アジア人に対する謂れのない差別

このような状況下、アメリカだけでなく、カナダでも、アジア系の人達に対する偏見・人種差別的な行動や暴力の矛先が向けられています。

理由もなく罵声を浴びせられたり、殴られ大怪我をさせられたりなど、その数もだんだん増えていると言うレポートやニュースが多々あります。

プロテスト:アジア人に対する偏見を無くそう

CNN.ca

理屈ではなく、感情に赴くままのこう言う行動は、心情としては多少理解ができないわけではありませんが、許されるはずがありません。

一年経った今、やっとトンネルの先の灯が・・・・?

一年経った今、ワクチンの接種も始まり、感染率も下火になるかと期待されていた昨今、いくつかの変種のウイルスが広まり、ここに来て感染者の数字がまたまた上がって来ています。

すぐにロックダウンが解除されて、以前の状況に戻るかとみんなが期待していた時に、3次波(変異種)の広がりが以前にも増して深刻な状況となっています。

感染者の数が増えて、今までとは違い、若い人達の間にもコロナが広がり、さらに今後も第4次波の流行、感染の予想も現実的になっています。

いずれは、集中治療室のベッドが足りなくなるだろうと言うような懸念もされるくらいです。

ワクチンの接種状況も混沌としている現況

ワクチンの接種も去年の終わりから、医療従事者や高齢者、矢面にたつ人達から始まり、徐々にですが広がりつつあります。

ただ残念な事に、ロックダウンの状況も方針や発令に関しても、各州や市町村に寄ってそれぞれ違う事が多々あります。

情報の発信一つに関しても、朝令暮改と言う言葉が如実に当てはまる状況で、変異ウイルスの実態把握のデータの解析やワクチンの供給スケジュールなどに一貫性がないように見える状況も、自治体ばかりを責めるわけにはいかないと思われます。

外部の色々な要因と絡んでいるだけに、いかに拡大を封じ込められるかが焦点になっています。

とりあえず、ワクチンの浸透、検査の拡充を通しての変異ウイルスの実態の把握などに多くの機関が力を入れるのですが、如何せん、対応が後ろ手に後ろ手にしか回っていないのが実態のようです。

実際に注射を受けられるグループや年代の明確化やタイミング、ファイザー、モデルナ、アストラジェネカ等どのタイプのワクチンがいつどこで受けられるのか、ワクチンの副作用の問題はどうなのかなど多岐にわたって、以前として一貫性がない情報が溢れ、混沌とした状況が続いています。

誰がワクチンを受けられるのかさえも、その時の状況に寄って、また日々変わっている状況です。

日本は4月12日から本格的なワクチン接種体制に入るようですが、政府や自治体の情報が受け取りやすい体制になっている事を願っています。

今後も入院可能な人数には限りもあり、変異型がさらに増えれば急激な病床逼迫につながる可能性が高いと予想されています。

変異した新型コロナウイルスの感染が増えている事を受け、流行状況の把握や感染の再拡大を防ぐのが最大の目標であることは言うまでもない事です。

あちこちの自治体の早期の一環した対応が急がれます。

4月に世界はまたロックダウンに

4月に入り、エープリル・フールであれば良いと言う願いも虚しく、フランスを始め、ヨーロッパでも北米、南米、日本でも、そしてカナダのあちこちの州でも、自宅待機・自粛が要請されています。

研究者、医療関係者もこの新型コロナの終結に血眼になっています。

とにかく、混沌とした現状の中、批判をするばかりではなく、当座できる事、自宅での自粛生活の継続やワクチンの接種など、社会での協力体制の構築をサポートするのが私たちに今できる事のようです。

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