アンコールワットへの旅

今から30数年も前にバックパッカーとして、夫と二人、アジアの各国やヨーロッパを回った事があります。その時には残念ながら治安上の理由から、目的地からはずさざるを得なかったのが、カンボジアとベトナムでした。

憧れの国へ

それをさかのぼる事、20数年前、まだ小学生の頃から、私は、アンコール・ワットには、必ず一度行って見たいと思っていました。「あの橋のたもとで」というテレビ番組が、園井啓介を主演として、一年ほどに渡り放送されたのは、私が小学校5〜6年生の頃であったと思います。主人公が傷心でカンボジアに渡る想定のもとに映された画面が私の心をとらえて離さなかったからです。

あの頃の画像がその後何十年も心の中に焼き付いていたことも不思議ですが、あの当時みたテレビ番組で他に印象に残っていたのには、加藤剛主演の「人間の条件」の舞台となった中国もありましたが、とにかく心の奥でいつかきっとカンボジアへ行くとその時に密かに決めたのです。

アンコールワット

いざ、実際に、大学を卒業して日本で英語を教えるのを終えた娘を連れて、カンボジアとベトナムに行くという宣言をして以来、夫の方が気を使ってガイドブックなどを取り寄せてくれたり、見所の情報を教えてくれたりしましたが、ぎりぎりまでも本をひもといてじっくりと調べると言う事もありませんでした。

とにかく、アンコールワットとアンコールトムに行ければ良いとただそれだけの思いでいました。アンコールワットに一番近い街であるシエムリアップに着いても、ついに来たという感慨だけがうわっついた気持ちの周りをふわふわとしているだけで、ただぼけーっとしていたのを覚えています。

娘がどこをどういう風に廻るのかという事を聞いて来ても、ただアンコールワットとアンコールトムと言うばかり。業を煮やしてまずは、周りの遺跡から攻めて、次の日に、夜明けのアンコールワットで朝日を拝んで、そして次の日には、アンコールトムと娘がテキパキと決めてくれた時、今回はとても頼もしい旅の友がついていてくれているのに気がつき、娘がなんと大きく見えたことでしょうか・・・・・。

シエムリアップ市内の移動はトゥクトゥクと呼ばれて、手軽な交通手段として使われている、オートバイに幌のついた荷台のようなものでした。ちょっと街を歩いていると、すぐ あちこちから客引きの声がかかるので、トゥクトゥクを雇うのには問題はなさそうでしたが、私たちは、ホテルが用意してくれたトゥクトゥクに毎日同じ運転手が同乗してくれたので、安心してあちこちの遺跡を見て回れました。

シエムリアップ市内のホテル

シエムリアップの街の中アンコールワットは、さすがにアンコールの遺跡の集大成と言われている通り、世界各地からの観光客をひきつけていて、一番近い街のシエムリアップにはここ十数年でホテル街とも言えるほどのおびただしい数のホテルが軒並みに並んでいました。道路等も他の地域に比べると舗装がされていて、マッサージのお店や土産物店が立ち並び、非常に観光地化している様子でした。その一方で、今でもたゆまなく遺跡の補修がほそぼそと続けられているのが目につきました。

朝5時起きでトゥクトゥクに乗って、アンコール・ワットへ行ったのですが、既にもう沢山の観光客であふれかえっていました。朝日が見えてしばらくしたら、すぐにメインの遺跡に足をのばして、10ドル余分に払う事により、ガイドらしき人達が、私たちを中央の遺跡の中でも一段と高い所へ登らせてくれたので、思いっきり堪能する事ができました。

アンコールワットの朝焼け

寺院

「ついに来たよ、アンコールワットさん!」と舐め回すようにあちこちを目で追いながら遺跡を上り下りが出来て、至極満足であった事は言う迄もありません。長い間の夢でしかなかったこの遺跡にこうして自分の足で立ち、両手で遺跡に触り、長い長い歴史の跡を自分で感じる事のできた幸運さに、感謝の気持ちで一杯で酔いしれたような気持ちにさえなったものです。

周りの遺跡や見どころ

アンコールトム・バイヨン寺院


お寺

他にも、アンコール・トム内にある巨大な石の顔が張り巡らされている、バイヨン寺院も非常に印象的でした。神秘的な微笑みをたたえた、仏様の顔を眺めているだけで、わざわざ来た甲斐があったと思えました。仏閣やヒンズーの遺跡巡りの他には、世界最大規模の水上生活者たちがくらしているとも言われる、湖や川の見学にも行き、孤児達や貧しい子供達の学校給食用にと50kgのお米も買って寄付することもしました。

水上生活


水上生活者のコミュニティー

カンボジアの歴史

カンボジアは、1953年に独立した頃は、アジアでも最も発達した国の一つだったとかで、東洋のパリとも言われていたそうです。1970年代に豊かな国は内戦で血に染まり、ポルポト率いるクメールルージュの大虐殺、長い戦乱で荒廃し、それ以後アジアでの発展に取り残されてしまったのです。

当時、犠牲者は100万にとも200万とも言われています。筆舌に残しかねる経験をした人達。破壊された街並。戦乱が残した人々の深い傷などを思い起こすと心が沈むところでもあります。首都のプノンペンの王宮は、鮮やかなオレンジ色と緑色の独特の屋根のデザインで、タイで見た王宮に非常に似ています。

昔、タイやカンボジアやベトナムが国の領土を共有していたと言う事にすぐにうなずけるような共通の特徴が建物などに現れています。大量虐殺が行われた、刑場跡の俗称であるキリングフィールド、人々の心の傷、一歩市街にでると舗装もされていない埃まみれの道路や集落、インフラの不完備、これからの課題があちこちに山積みされているのがわかります。

1991年からの再出発をした国。生活水準はまだまだ低いですし、目下、1960年代前半の日本と同等、道路や運送業務その他のインフラ整備が必要であり、若い世代が活気を取り戻す源や国造りには外国からの投資が必要な状況です。

カンボジア料理

カンボジア料理の特別なスパイスを使った料理の仕方を知りたくて、クッキング・レッスンをとりました。まずは、マーケットで材料の調達という事で、シェフとローカルの市場へ出かけて、その後、色々なハーブを使っての香りが良く、ほんの少しピリットした「フィッシュ・アモク」や「芋等も中に入った春巻き」などを作って、その美味しさに舌鼓を打ちました。香辛料をつぶしてまぜるために、モルタルとペストルを実際に使ったのも始めての経験で、帰国してから一式を調達しました。

プノンペンの市場

果物市場

クッキング・スクール


カンボジア料理の材料

カンボジアの今後

南部経済回廊(タイ・カンボジア・ベトナム)工業団地などにおいても、日系企業の投資は群を抜いているそうです。外国企業の誘致が盛んな今、カンボジアの成長は、日本の成長へ、ASEANの国の成長にも続くと言われています。

宮殿

荒廃した祖国の再建に頑張っているカンボジアを後に、プノンペンからメコン川をボートで下って、チャドホックを通ってベトナムのホーチミン市へ移動しました。また機会があれば、行ってみたいと思う国の一つです。

カンボジアへ行った人たちの声

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