私のアメリカ カナダからの視点 

今のアメリカは、隣国から見ても住みにくそうです。3万人以上もの避難民がアメリカからカナダに不法入国して、避難民の申請をしています。アメリカ第一主義をモットーとして掲げる大統領には、寛大のかの字もつけられない、目を背けたくなるような人物に見えて仕方がありません。

かつては、寛大で自由な国アメリカ、敗戦国に対してもきつく締め上げないである程度、リベラルな考え方を元に、占領下ながら余裕と配慮を与えてくれたと受け止めていました。これが逆で、もし日本が戦勝国であったらと思うと・・・。それが空恐ろしい気持ちでした。

JFKの暗殺


第35代のアメリカ合衆国の大統領が、1963年、ダラスで凶弾に倒れたというニュースは、アメリカの暴虐な一面を晒し、実際は心のせまい、自分達のことだけしかかまわない、保守的な人間がかなり沢山集まっているところだとあからさまにしたようなものでした。

当時、彼は自由とリベラルの象徴のように思っていた私は、そのニュースを聞いたとき、星空の下で涙したことを覚えています。
まだ幼かった私にも、若くて精悍で、とても人気が高かった大統領をあんな形で失う、アメリカと言う国の悲劇が感じられたものです。

後に、大統領が必ずしも公共のイメージ通りの人ではなく、健康にもすぐれぬ時があり、女好きで、キューバ危機・ベトナム政策その他間違った決断を何度かした、理想とは程遠い人であったという評価を聞くにつれ、私は何に涙したのだろうと思うことはあっても、あの時のあの哀しさは今でも忘れがたく私の中に残っています。

隣国としてのカナダ

あれから長い年月が過ぎ、今はあのアメリカではなく、その隣の国であるカナダにすんでいます。アメリカとカナダの関係は経済面ではカナダが完全に依存している状態ですが、政治面では一国としての強い意志を持ってアメリカと対等な関係にいるべく努力する姿勢があちこちに伺えます。

アメリカの10分の1以下のカナダは、いつも隣の強国を意識せざるを得ないのは当然ですが、同時に、その強力な磁石のような力に引っ張り込まれないように、主権国家としての抵抗を全力で試みる努力を怠る事のないように、国民の意識も向上しています。カナダ人は世界を旅行する時、メープルリーフの旗をリュックにつけて、アメリカ人と見間違えられないようにする傾向にあります。

カナダの外交と主権

今から15年前、2003年の例として、ブッシュ政権のもと、カナダのクレチェン首相はイラク戦争に反対し、また後年マーチン首相も弾道ミサイルに反対することで、アメリカに追従しないことを宣言しました。ところがやはり隣の反応は気になるもので、クレチェン首相がブッシュ大統領から、約束をドタキャンされたいきさつとか、マーチン首相に10日間も連絡がなかったとか色々と思惑のある動きが報道されたようです。

これはカナダがイラク戦争に参戦しないとクレチェン前首相が決定したのを受けての仕返しで、急に重要なアジェンダが持ち上がったからと言うのだったそうですが、その日の午後大統領は、オハイオ州かどこかの小さな田舎町に降り立って町民との交流を図ったとか。

自分の気持ちやしたいこと、反対した理由ははっきりしていても気になる存在、アメリカのすることに賛成したくない気持ちは十分にある、それなのに電話がかかってこないとやきもきする。信念に基づいて行動はしたいけど、そでにはされたくないこのなんとも言えない気持ち・・・・・・・。その後もカナダの首相達は、色々と交渉に苦労をしているのが見かけられます。

トランプ政権

今回のNAFTA(北米自由貿易協定)の交渉も、トランプ傘下のアメリカ側はいかにうわての姿勢で締め付け、脅しかけ、何をもぎ取るかに集中しているのに対し、カナダ側は、いかに譲歩の件数を少なくするかで交渉の成果を図っている趣があります。

人間の持つ感情とは、何とも不安定なもので、欲しいものが手にはいらないと苦しみ、いざそれが手に入れば「なんだ、もういらない」となり、次の要望や感情がわいて来ます。それに、自分や相手に対する過剰なほどの理想像の追求も大変なエネルギーを必要とするものです。

オバマ大統領のグローバル化という名のアメリカの価値観とは全く反対の「アメリカ第一主義」の押し付けのもと、実際は心のせまい、自分達のことだけしかかまわない、保守的な人間がかなり沢山集まって、おしくら饅頭をしているところ、そんなところがアメリカなのではないかと最近は疑いを持っています。

今回の選挙は、そんな自国に嫌気がさしているアメリカ人も多数いることを示しもしています。興味あるニュースは、カナダ移民局のウェブサイトへのアクセスがトランプ就任以来急激に増えたと言うことです。かつて、ベトナム戦争の徴兵制から逃れるために、多数のアメリカ人がカナダへ流れたように、カナダに逃避したいと思うリベラルなアメリカ人が多いことを示しているのではと分析されていますが、真意の程は定かではありません。

または、かつて、寛大で、優しさと知性と良心を持つ人達の集まりのように見えた移民の国であったアメリカは、一皮むくと、人当たりのよい友好的な笑いの下に、自信家でしょってて、自分勝手であまったれの、自分の方に矛先が向いていないと、ふくれてきかん気で、他人の感情に冷淡な自分が出てしまう、世界は自分の為に回っていると思っている人達の集団のような気がしないでもありません。

こんな風に言ってしまうとみもふたもないように聞こえるけれど、本当は始めて出会った時から、心ひかれてついて行きたいと心底思った人があの国にはいました。惹かれているし、アメリカは大きいし、できたら好きな人にするように、胸をたたいて大きな胸にすがりついて、やさしい心をゆさぶって大きな懐に抱いて欲しい気持ちが否めなかった。確かに、そんな気持ちを私はアメリカという国、こころ惹かれた人達に対しても持っていたのです。

彼らは今どこにいて、何をしているのでしょうか。風の便りでは、ここ2〜3年前に亡くなったという人もいる事を思い出しています。

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