ヒッピーや反戦運動家たちが闊歩していた時代に、巷でささやかれていた言葉に、“Don’t trust anyone over 30”、つまり「30以上の奴は信じるな。」というのがありました。
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30以上の奴を信じるな
自分が若かりし頃、私も、いっぱし心の中で、30歳以上の人達というのを疑いの眼で見る風潮を横目で容認しながら、20歳と30歳の間には、とてつもなく長い年齢の差があり、自分達とは一線を引いた全く別の世界の人達かぐらいに思っていた時期もありました。
10年ひと昔という言葉にもあるように、30年間という年月は、当時とてつもなく長い時間に見えたものです。それが、はたと気がついたら、と言うかアレヨアレヨと自分が信じたりしちゃいけない30歳になってしまっていたのです。
それがはっきりした時点で、はたと立ち止まってしまいました。自分の番がやって来たらどう生きるかなんて、真剣に考えたりはしていなかったのです。
自分の選択と決断
ただ一つ言える事は、その節々で、自分なりにベストと思える色々な決断や選択をして来たかと言う事で、その一つ一つが当時の自分の立ち位置に数珠のようにつながっていた事は、実感出来ていました。
18歳の時に、九州のもう一つの大学を受けるために大阪から乗った夜行列車の中で、もうだめだろうと思っていた東京からの合格通知を受け取った時、寮に入る事が親からの条件だったので、一人で迷った末に面接を受けるために、飛行機でとんぼ返りをする決心をした時、あれが、自分で誰にも相談しないで自分なりの選択と決断をすることになったその始まりだったような気がします。
22歳の別れも、24歳で誰にも言わずに居心地の良かった職場を変えたことも、25歳で結婚する人を選んで異国に移住した時も、それからの異国での生活、30歳になるまでの生活の糧や暮らし方も、そして、いざ30歳になった時に、仕事をやめて二人でリュックを背負って世界を一回りする貧乏旅行をすると決断をした事も、それらが皆、後の自分の価値観を支える根元になって、現在の自分に繋がる奇跡であったと今振り返るとわかる気がします。
30歳を過ぎても、どっぷりと生活につからない態度を維持する事、それが30歳になった時の私達の新たな選択であり、決断でした。
人生が過ぎて行く中で
その後も、その時その時の選択と決断を自分なりにして来たと言えます。それから仕事と子育てに忙しく飛び回っている時に、ひとっ飛びに40歳になり、慌てふためいた事この上なかった時代、それからまた一人子供が出来て、それまで以上に子育てと仕事の両立に力を入れて過ごしたものです。
夫婦のそれぞれの仕事の選択も、家庭生活を安定させて充実して行くことを念頭に置いていました。”Over the hill”(盛りを過ぎて)と言う言葉が念頭をよぎっても、それでもまだまだ捨てたものではないとニヤっとしながらつっぱっていたあの頃は充実していたし、大変だっただけに、懐かしく思い出されます。
その後、気がつけばもう50を過ぎ、「鏡の前のおばちゃん、あなたはだ〜れ?」と毎度も問いかけることになりつつ、人生の折り返し地点以降の下り坂は楽チンでいいはずなのに、夢も希望もあらぬ方向に押しやられ、会社が買収されたのを機に肩叩きに会って、それで現役時代の一巻を閉じる事になったのです。
自分のやりたい事は何か
それでもその年、私にはやりたい事がありました。東日本大地震で被害を受けた地域の人たちの所へボランティアをしに行くと言う事でした。出張の為に空港にいた時に、惨事のニュースが飛び込んで来たのです。
地震や津波の大規模な恐ろしさの映像を毎晩テレビに釘付けになって見ていました。そして、悲惨な被災地からの報道の中で一番心に焼き付いたのは、その被災地に住む人達の態度でした。
あの大災害の後でもお互いを思いやれる心、真摯なまでの謙虚な態度、Resilience(しなやかさ、立ち直る力)、辛抱する力、それらに私は心を打たれたのでした。そして、時期が来たらと思っていたその時期が案外早く来た事を幸いに、日本へ旅立ったのです。
4〜5ヶ月の滞在を経て、人生に如何に対処するか、所蔵品などは一瞬になくなる物であること、執着しない態度など色々な事を教えてもらってカナダに帰った私は、自分の生活を立て直す事から始めました。
「こんなはずではなかった、もうちょっと自分のコントロールが効いて、人生に計画性があったはずだ・・・」とか色々考えたりする事もありましたが、何はさておき現時点での自分の生活に満足する事、何気ないことに喜びと感謝をする事を学びました。
何を自分の周りに置くのがいいのか
人生100歳の時代の到来とは言え、。気がつけば、もうこんな年齢なのか~。まさか、自分がそう簡単に60になるなんて・・・。
かの昔、まだまだ時間はたっぷりありそうだったのに、後また30年どう生きるかこれが問題であると思いました。
今更慌てふためいてもどうしようもないわけですが、これからの30年は、人生始めの30年とは、重みも速さも違うような気がします。
両方とも同じ30年だとは言え、黄昏のゴールデン時代の30年をうまく過ごすには、色々とそれなりの工夫が必要であろうと思います。
私の周りを見ると50代は蕾のうち、70代でも少女のような人もいるし、80代でも、紫色のブラジャーやピンクのブラウスの話をしてまわりを笑いの渦の中に巻き込んで、我知らずというように涼しい顔をしている人達もいます。
90代でも、日本と北米を往復したり、70代かと見間違う人も・・・。かなりの人が体型もかなりスリムに保っていて彼らの精神のしなやかさやアクティブなライフ・スタイルに圧倒されるし、みんなが若々しく魅力的な事が不思議なくらいです。
そう、100歳以上は軽く生きそうな候補者がたくさんいるいる!!素晴らしいことです。
心身ともに健康でいたいと思うし、生涯現役でいられる事を目標としようと思います。今の私が、これからの自分を作り上げて行くわけですから、したい事をたくさんして、自分の人生に足るを知り、感謝の念を欠かさず、有意義な目標を作って、健康・身体管理に努力し、人生のささやかな喜びの大切さを噛み締めていこうと思います。
人間関係のストレスが身体に及ぼす悪影響は計り知れないし、健康な身体の維持には、メンタルヘルスが大事であるので、一緒にいたい人といることにして、友達を選ぼうと実践しています。自分の思ったことは現実化すると言いますから、自分が年だと思ったら年だし、単純に自然に楽しく、前向きな選択ができる環境を作り出し、前向きな人達と時間を過ごし、自分の精神や可能性を蝕むような事はできるだけ避けて通ることにしたいと思います。
ただ、孤独を恐れない態度を培うことも大事であると日頃より思います。
どう生きるのがベストか
いつまでも若くいるコツは沢山あるでしょうが、生涯現役であるためには、生涯学習が大切であるわけですから、特に時代に取り残されない努力をしたいと思います。
その一環として自分の場合、今まで積み上げて来た語学を教えるのは、理にかなっていると思うし、自分が教えると言うのは、日々努力をする必要があるわけで、教えると言う事は、逆に色々と学ぶ事にも通じるわけです。
自分を心地よくしてくれるものは大切にし、自分も周りに対していい環境の一部になりたいと思います。
好きなものに気をとめて暮らしていけば、自分もおのずから幸せな気持ちになれるでしょうし、そうなれば周りにも余裕を持って接して行けるでしょう。
自分の本当の気持ちや想いと向き合って、考えて行動をする。決断をひるまず、自分なりの居心地の良い空間を作り出し、充実した日々を一日一日積み重ねて行く努力をする。それらが「どう生きるか」に対する選択と決断の要だと思います。